ゆかりのひと

作家 高橋揆一郎(昭和3年〜平成19年)

 歌志内出身の作家(本名 高橋良雄)。
 昭和53年7月、『伸予』で第79回芥川賞を受賞。道内在住の作家として初の受賞に輝き、作家としての地位を確立しました。
 当市でも、歌志内生まれで歌志内育ちの芥川賞作家の誕生を大いに喜び、受賞を祝して、ときの斉藤市長が札幌にある自宅を表敬訪問。同年8月16日には、ふるさと歌志内で盛大に祝賀会が催されました。
 その席上、「生まれ育ったふるさとからは抜け出せない。わたしの本質は歌志内の風土そのものだ」と語った高橋氏ですが、言葉どおりその後も、生まれ育った歌志内の、また庶民の生きざまを通して、人間の根元的な姿を一貫して書き続けました。
 多忙な作家活動のかたわら高橋氏は、ふるさと歌志内にエールを送り続けました。昭和62年には自らが会長となって札幌歌志内会を設立。また、歌志内市民劇団のために原作を書き下ろしたり、郷土館ゆめつむぎの名誉館長に就任するなど、本市振興に積極的に関わり、その熱心な支援と文壇での活躍に対し市は、平成9年に名誉市民の称号を贈呈しました。
最後まで北海道に根を下ろし、質の高い作品を発表し続けた高橋氏ですが、平成19年1月31日、肺炎のため78歳の生涯を閉じられました。しかし、残された数多くの優れた作品は、精悍な風貌と飾らぬ素朴さで周囲を魅了した高橋氏の人柄とともに、いつまでも多くの人々に愛され続けることでしょう。
市内で開かれた祝賀会での高橋氏
▲市内で開かれた祝賀会での高橋氏(昭和53年8月)

■芥川賞受賞決定を報ずる市広報紙(昭和53年8月1日号)

歌志内に関連する年譜
昭和3年4月 市内上歌地区の炭鉱長屋にて出生。
昭和21年4月 札幌の夜間中学(旧制)を卒業後、歌志内国民学校の助教諭となる。国民学校の教師たちによって同人雑誌「白楊」が発刊される。(執筆、発行責任者にペンネームである高橋揆一郎の名が見られる)
昭和23年5月 北海道第一師範学校入学のため退職。しかし、わずかな期間で中退し、再び歌志内へ戻り、住友鉱業所上歌志内砿に入社。社内報の編集等の仕事に携わる。
昭和25年10月 上歌砿の文学サークル「上歌文学会セナクール」を結成したほか、さまざまな同人誌を発刊、執筆する。
昭和33年9月 赤平と上歌両地区の文学愛好者15人が集い「住友赤平文学会」を結成。同年12月に雑誌『赤い崖』を創刊。
昭和40年 札幌の住友石炭北海道支店に転勤。同人誌活動を中断される状況となる。
昭和45年 退職。フリーのイラストレーターとなり、「財界さっぽろ」に時事漫画を連載。
昭和46年 渡辺淳一を輩出した「くりまの会」同人となり、文学活動を本格化する。
昭和53年7月 『伸予』で第79回芥川賞受賞。同年8月、歌志内市民会館で受賞祝賀会開催。
昭和62年11月 札幌歌志内会が設立され、会長を務める(平成13年度まで)。
平成13年度札幌歌志内会総会
▲平成13年度札幌歌志内会総会
(平成13年7月6日・札幌)
平成5年8月 市内3つ目の文学碑として「高橋揆一郎文学碑」が建立される。
高橋揆一郎文学碑
▲公民館裏手の歌志内公園内に建てられた高橋揆一郎文学碑
平成9年 歌志内市名誉市民。市郷土館「ゆめつむぎ」の名誉館長となる。
平成19年1月31日 肺炎のため、札幌市内の病院で逝去。享年78歳。
高橋氏の遺影
▲祭壇中央に飾られた芥川賞受賞まもないころの高橋氏の遺影

高橋揆一郎氏逝去を報ずる市広報紙(平成19年3月1日号)

郷土館常設展示の『高橋揆一郎コーナー』
▲常設展示コーナー新設(平成20年4月)
主な作品と受賞歴 ■ 主な作品受賞歴
『ぽぷらと軍神』
 第37回文学界新人賞受賞
(昭和48年)

『観音力疾走』
 第11回北海道新聞文学賞受賞
(昭和52年)

『伸予』
 第79回芥川賞受賞
(昭和53年)

『友子』
 第11回新田次郎文学賞受賞
(平成3年)

■市民劇団と高橋揆一郎
 「閉山に沈みがちなまちを元気づけたい」と平成7年11月、歌志内市民劇団(相河悳昭会長)の旗揚げ公演が行われました。
 劇団はこれまでに『虎落笛(もがりぶえ)の鳴る丘』(岡西敏文(当時、歌志内小学校教諭)脚本・演出)、『神威岳春秋』(高橋揆一郎原作)、『観音力疾走』(高橋揆一郎原作)の公演を行い、2作品が高橋氏の作品となっています。なかでも歌志内市開基100年記念公演での『神威岳春秋』は、高橋氏が市民劇団の公演のために書き下ろした作品です。
歌志内市民劇団による『観音力疾走』公演
▲歌志内市民劇団による『観音力疾走』公演
(平成13年)


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