戦時中の小学校と三浦綾子(「副読本ゆめつむぎ昔話聞取集」より)

お話 今野 辰子さん(市内在住)
(聞き取り 坂本 始)
 
 昭和12年、支那事変(日中戦争)が始まり、若い男の人に「赤紙(注1)」が来る一方、炭鉱は石炭増産のため、人がどんどん増え(注2)、学校も生徒が教室に入りきれなくなるほどでした(注3)。昭和15年、滝川高等女学校卒業した私は、先生が50人以上、生徒は2,000人を超える神威尋常小学校の代用教員に採用され、そこで出会ったのが、のちに有名作家となる三浦綾子(当時は堀田綾子)さんです。同い年の彼女とは、翌年文珠に分教場がつくられ、職場が同じになり親しくなりました。

 堀田先生は、研究熱心で、先輩の先生を捕まえては授業のやりかたを聞いたり、その頃普及した4つ玉そろばんに他の人が苦労しているとき、「わたしなんか1年も前から使ってるよ」と新しいものをとり入れたり、とにかく進んでいる人でした。
 昭和16年の1学期で堀田さんは退職し、旭川に戻って以来、疎遠になっていましたが、作家になったことは新聞で知っていました。
 昭和45年頃、NHK番組「私の秘密」で再会して以来、手紙のやりとりをするようになりました。

 生前お会いしたのは、平成9年に家を訪ねた時が最後になってしまいました。
 
  • 注1) 軍の召集令状のこと。
  • 注2) 歌志内の人口は、昭和12年20,067人、昭和16年には39,003人を数えた。
  • 注3) 校舎増築を重ねても生徒を収容しきれず、午前と午後の2部授業も行われた。

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