『氷点』、『塩狩峠』などの作品がテレビや映画化され、今なお多くのファンを持つベストセラー作家 三浦綾子は北海道・旭川市に生まれ、生涯のほとんどをその地で過ごしました。平成10年には旭川市神楽に三浦綾子記念文学館が開館しています。
三浦綾子と歌志内の関わりは、昭和14年3月、旭川市立高等女学校を卒業後まもなく本市(当時は町)の神威尋常高等小学校に代用教員として赴任したことにはじまります。
その期間はわずか2年4か月でしたが、自伝『石ころのうた』には、当時の軍国主義の色濃い小学校の様子や、純真な子どもたちとの交流がくわしく描かれています。
昭和49年には、神威小学校開校70周年式典に来歌、また、同60年には神威尋常高等小学校当時の教え子らと45年ぶりの再会を「かもい岳温泉」で果たし、思い出話は尽きなかったといいます。
平成6年に刊行された最後の長編小説『銃口』には、多感な青春時代を神威小学校教員としてすごした三浦綾子の姿が投影されていることなどから、歌志内時代は三浦文学で重要な位置を占めているといえます。

▲公立神威尋常高等小学校教員時代の三浦氏
(昭和15年撮影:左の写真=右端が同氏、右の写真=右が同氏) 写真提供:三浦綾子氏


▲三浦綾子氏の履歴書(平成14年歌志内市立西小学校にて発見される・市郷土館所蔵)
三浦綾子と歌志内の関わりは、昭和14年3月、旭川市立高等女学校を卒業後まもなく本市(当時は町)の神威尋常高等小学校に代用教員として赴任したことにはじまります。
その期間はわずか2年4か月でしたが、自伝『石ころのうた』には、当時の軍国主義の色濃い小学校の様子や、純真な子どもたちとの交流がくわしく描かれています。
昭和49年には、神威小学校開校70周年式典に来歌、また、同60年には神威尋常高等小学校当時の教え子らと45年ぶりの再会を「かもい岳温泉」で果たし、思い出話は尽きなかったといいます。
平成6年に刊行された最後の長編小説『銃口』には、多感な青春時代を神威小学校教員としてすごした三浦綾子の姿が投影されていることなどから、歌志内時代は三浦文学で重要な位置を占めているといえます。

▲公立神威尋常高等小学校教員時代の三浦氏
(昭和15年撮影:左の写真=右端が同氏、右の写真=右が同氏) 写真提供:三浦綾子氏


▲三浦綾子氏の履歴書(平成14年歌志内市立西小学校にて発見される・市郷土館所蔵)
歌志内に関連する年譜
昭和14年4月(17歳) | 空知郡歌志内公立神威尋常高等小学校に教員として赴任。(3年生女子組を受け持つが、3週間後、異動により3年生男子組を受け持つ) |
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同年9月 | 職員の異動により1年生を受け持つ。 |
昭和15年4月(18歳) | 代用教員から訓導(正規教員)となり、新1年生を受け持つ。 |
昭和16年4月(19歳) | 神威尋常高等小学校文珠分教場へ転任し、2年生を受け持つ。 |
同年8月 | 退職。旭川市立啓明国民学校へ転勤。 |
昭和49年6月 | 神威小学校開校70周年式典参加のため歌志内市を訪れる。 |
昭和60年 | 神威尋常小学校同期会のため歌志内市を訪れる。 |

▲神威尋常小学校同期会のため当市を訪れた三浦綾子氏(右)と三浦光世氏(左)
(昭和60年・かもい岳温泉) 写真提供:今野辰子氏(故人)
戦時中の小学校と三浦綾子(「副読本ゆめつむぎ昔話聞取集」より)
三浦綾子氏について
くわしくは、三浦綾子記念文学館ホームページでご覧になれます。
くわしくは、三浦綾子記念文学館ホームページでご覧になれます。
お問い合わせ
郷土館ゆめつむぎ電話:0125-43-2131